秋山 けんたろう
2023.02.03
私は北区立の赤羽中学校を卒業しています。今は、当時の赤羽中学校と岩淵中学校が合併して赤羽岩淵中学校となっています。ちなみに私の母校はもう大学しか残っていません。幼稚園は閉園、小中学校は合併、高校は閉校で。
私はどんな中学生だったかと言うと、スポーツも勉強も万能・・・とはほど遠い中学生でした。TVのニュースを見れば不景気で辛くなるような話題ばかり。夢や希望を持てずにいました。その当時「一流大学を卒業しているのに、正社員になれずフリーターになる人が増えている」という話題をニュースなどで観ました。「頭の良い人が就職出来ないなら、頭が良くない自分はどうなってしまうのだろう?」という不安にさいなまれました。
当時は逆に「正社員にならずフリーターの道を選ぶ若者が増えている」という報道の仕方を取る報道機関もありました。「今どきの若者は責任感が無くて、正社員の仕事は荷が重いのでは」という分析の仕方もされていました。同じ話題でもこうして違うとらえ方をして報道されているのを見て世の中の矛盾を感じました。「なりたくてもなれなくて苦しい思いをしている人」が実は多かったのではないでしょうか。ようやくこの頃政府がやっと「就職氷河期世代を救済」と言い出していますが、遅すぎます。「正社員にならずフリーターの道を選ぶ若者が増えている」と本気で思っていたのでしょうか?勉強の苦手な中学生の私にも不況の影響で就職が上手く行かない人がたくさんいることくらい理解していたのですが。
中学生の時、「将来の夢は?」と聞かれるのが嫌でした。仮にそう聞かれても「ありません」と答えていました。でも、やりたいことは実はたくさんありました。でも、あまりにも難しい目標だったため正直に将来の夢として答えれば「中学生なんだからもっと現実的な目標を持ちなさい」と言われてしまい。
いつの時代も「今どきの若者は夢がない」という根拠のない若者バッシングがありますが、夢がないわけではなく、「世の中が若者に夢を持たせない。語らせない」というのが正解なのかなって思います。
私はどんなに壮大な目標を持っても良いと思います。運動が苦手な人がスポーツ選手になりたいっていう希望を持っても良いと思いますし、勉強が苦手な人が医者ですとか研究者を目指しても良いと思います。夢は自由です。その夢を持つことで誰かに著しく迷惑をかけるようなことがあるなら話は別ですが、そうでないなら自由に夢や希望を持っても良いと思います。
仮にその夢や希望が叶えられなくても、その夢に向かって努力した経験自体は絶対に無駄にならないと思いますし。
私はすべての人が夢や希望を持てる社会にしたいと日々言っています。その言葉には実は色んな思いが込められていますが、そのうちの一つが中学生の頃の経験です。夢を語れば現実を見ろと怒られ、自分の気持ちを押し殺して「夢はない」と言えば「夢を持たないから今の若者はダメなんだ」と怒られ。本当にあの頃は悔しい思いを何回もしました。今から考えると単に若者に説教をしたいだけの方にしょっちゅう絡まれていただけなのかな?とも考えたりもしますが。
特に若い人にとっては安心して夢や希望を持てる社会にしていかなければいけないなと感じています。